和泉雅子(女優、冒険家)

 

1947年7月31日、東京都出身。10歳で劇団若草の子役となった後、1961年に14歳で日活に入社。吉永小百合、松原智恵子と「日活三人娘」として絶大な人気を誇り、数々の映画に出演した。(代表作として、「非行少女」など)エランドール新人賞や、モスクワ映画祭金賞などの受賞歴をもつ。

女優業を行う傍ら、テレビ番組のレポーターとして訪れた南極の魅力に惹かれ、冒険家としての活動も開始。1985年、1度目の北極点踏破への試みに失敗するも、1989年の2度目の挑戦で、日本人女性で初めて北極点に到達。

現在も、女優業、タレント業を行う傍ら、冒険を続けている。


 

—20歳のころの和泉さんと言いますと、女優さんとして大活躍されている時期ですよね。お忙しい生活を送ってらっしゃったことと思いますが、具体的にどのような毎日を送ってらっしゃいましたか?

 

 毎日撮影所に行っていたわよ。4本ぐらいの映画を掛け持ちして、午前中はこの映画、午後からこの映画、夜からこの映画、明日の朝はこの映画・・・っていう風に4本ぐらい掛け持ちしていたの。

 


—寝る時間もないですね。

 

 そうね。でもね、それが楽しかったの。日活映画っていう会社が楽しくて、石原裕次郎さんを中心に。でも裕ちゃん、全然威張らないの。それで、みんなの憧れの的でね。日活の人はみんな威張らなかったの。

 

—上の人から下の人まで和気あいあいと・・・?

 

 そうなのよ。だからね、学園の広場みたいなところがあったのだけど、撮影のない人から順番に、その広場にみんな集まって、それで、出番のある人から呼ばれて・・・っていう風に、いつもみんな一緒だったの。みんなでおしゃべりして、大笑いしてね。

 だって、まだみんな高校生ぐらいでしょ。私が中学生で。だから本当に楽しくてね。

 

—だから、忙しい日課でも、辛い、とか、辞めたい、とか思うことも全然なく・・・?

 

 そうそう、楽しみで。「今日も撮影所に行ける!!」って。学校に授業を受けずに遊びだけで行く感覚。

 

—今のアイドルの方たちを見ていると、いつも寝る暇もなく過酷で・・・というのを想像してしまっていたので、とても予想外です!

 

 そうよね。今は多様化しているものね。私のころは、映画だけ出ていればよかったのだけど、今の子は、コンサートも、映画も、ドラマも、バラエティーもやって。だからね、すごく大変だと思うわよ。移動距離も、全国を回って、海外にも行って。今の人の方が大変だと思うわよ。

それに、みんな同じ日活の人だから、みんな助け合って、困った人がいたら、みんなが寄って集って助けちゃうっていう、そんな感じだったの。派閥とかがある映画会社もあったみたいだけど、日活はみんな若かったから、そういう昔の制度みたいなものがなくて、当時のいまどきのスターが集まる会社になっていたのよ。見る方も、若い人が多かったりしたの。当時は、映画を見るのにも学校の許可証が必要だったのよ。みんな内緒で見に行っていたけどね。フフフッ。

 

—今も昔も、中高生のすることは変わらないですね~(笑)

 

 そうよ!なんにも変わらないのよ~!この前ね、ある記者さんにお会いして、インタビューしたのだけど、30代の記者さんが、「最近の若者は、自分が何をしたいのか決まっていないから・・・」なんて言うの。だから私、「あなた、20歳の時、自分の進む道決まっていた?」って聞いたの。みんな、そのぐらいの年って、先が決まったりしないじゃない。30過ぎて、社会に揉まれてから、20代のことを振り返る。ずいぶん年寄みたいなことを言ってしまうのだけどね(笑)

 私は、若い人が大好きでね。だって、磨けば光る、宝石じゃない!!20歳って言ったら!!

 

—今は、就職難が叫ばれていますし、私自身も教師を目指しているのですが、採用試験に受からなかったらどうしよう、とか、心配事が多くて、自分を見失いそうになってしまって・・・

 

 いいのよ~!だめならだめで、他にいくらでも方法があるのだから。何とかするのよ!それしかないと思うと、おかしくなっちゃうから。圧迫されちゃうでしょ、脳が。何とかなるのよ!!

 

—若いうちは、いろいろなことに挑戦するのが大切なのですね。

 

 そうそう、だって、決めたって早すぎるわよ。学生さんで、卒業して、社会人になって、それから10年ぐらいしないと、進む道なんて決まらないわよ~。一生決まらないことだってあるしね。

 

—人生の中で、やりたいことを見つけていく、ということですか?

 

 そうそう。決めちゃったらしんどいでしょ。思ったことは行動に移して。できる範囲でね。できないこと言ったら、嘘つきになっちゃうもの。できることは、10人いたら10人違うのだから、いいのよ、それで。それぞれ才能があるのだから。

 20歳そこそこで将来なんて決まらないわよ~。決まらなくで、揺れ動いているのが素敵なんじゃない。ハタチって!

 

—自分は教師になるために進学校に行って、大学は教育学部を選んで・・・、敷かれたレールの上しか歩いて来なかった気がして・・・

 

 そういう子はね、アクシデントに弱いのよ~。挫折しちゃって、起き上がれないの。だけどね、レールの上から外れたりしながら、フラフラして「どこに進むのだろう・・・」ってしている子は、案外、アクシデントにあっても「大丈夫、大丈夫、こっちの道が空いているから」ってね、そうやって自分で道を探していくから、強いのよ。

 

—そうですよね、今からでも、色々な可能性を探してみようと思います。

 

 そうよ!終わりじゃないのだから!これからなのだから!

 子供から学べることっていうのも、案外多いのよ。私ね、北海道に別荘があって、そこで、15回目になるのかな、「寒いのへっちゃら隊」っていうボランティアをしているの。北海道の、士別市っていうところなのだけど、冬にね、子供たちが、寒いし、遊ぶところがなくて、家の中でゲームや、テレビを見たりしてばかりいるから、1回家の中から引っ張り出してやろうかと思ってね、それを企画して、市役所の観光課と一緒になって、「募集してよ」って言ってね、それで、ずっとやっているの。だけどね、子供から私が学ぶことって案外多いのよ~。だって、私にはない世界を持っているでしょ。教育でパソコンが使われ始めたころの子供たちはね、面白かったの。作文が書けないの、機械がないと。鉛筆で、原稿用紙に書くっていうことができなかったの。絵も、書けなかったの。パソコンがなかったころの子供たちは、もう、何枚も書ける感じで。あと、パソコンが始まってからの子供たちは、今日何をしたかっていうこととかも、書けないの。それでも今年はね、だいぶそこから脱出して、作文も書ける、日記も書ける、書けない子はほんの2,3人になったの。ゲームヲタクもちゃんと書けるしね、子供ってすごいなって思ってね。この前も、「妖怪体操第二おしえてよ!!」って言ったらね、子供が、私に恥を書かせちゃいけないと思ったのかしらね、小さい声で「まこばあば、第二じゃなくて、第一だよ。」って教えてくれて・・・(笑)。「そうか第一か~、まこばあば、間違えたよ~」なんて、大笑いしてね。「じゃあ、後で妖怪体操第一教えてよね!」なんて言って。子供にもてるのよ~(笑)

 

—先ほど、若いうちはまだ将来を一つに決めずに色々やってみるのが良いとおっしゃっていましたが、和泉さんも20歳の時は、やっぱり北極に探検に行くなんて言うことは、全く考えてらっしゃらなかったですか?

 

 全然思いもしなかったわよ!!あれは、35~36歳の時に思ったのだから。私ね、20歳で高校を卒業したの。出席日数足りなくて。その時の写真がね、「こんな晴れ晴れ嬉しいことはない!」っていう顔で写っているの!勉強から解放されるから。私、勉強ができなかったの。小学校の時から。あだ名がね、「行進曲の和泉」っていうあだ名なの。どうしてかっていうと、成績の5段階評価で、私の通信簿には、1と2しかなかったの!「1、2!1、2!」ってね、だから、行進曲って言われていたの!あるときね、3年生の時、図画工作で3をとったの!そうしたらね、先生が、「和泉がワルツだぞ~!」って大騒ぎして!!でも、その1回だけだったわね~(笑)あとは全部1と2。ほとんどが1で、たまに2があるのだけどね、めげないの、そんなことで!(笑)親も怒らないし、勉強したら目が悪くなるっていう主義だから、宿題もしないで学校行っちゃって!

 

—高校を卒業されたときは、勉強から解放されたので、それから先は、女優一本でいかれるつもりでしたか?

 

 まあ、そのときはね、それしかなかったから。すごく忙しかったし。だって、一本の映画が終わるか終わらないかのうちに次が決まって、また終わるか終らないかのうちに次が決まって、大変な忙しさだから。もともとは、学校を休む目的で小学生の時に女優になったの(笑)高校生になってもそれは変わっってなかったの(笑)日活の人は、学校のテストの日だけ予定を空けてくれるんだけど、勉強していないし、学校もほとんど行っていないのだから、できっこないのよ~、勉強ができない人にとってね、テストの時にみんなが答案用紙に書く「カリカリッ」っていうエンピツの音は、すごいものなのよ~(笑)私は書かないわけだから、「すごいな~どうやって書いているんだろうな~」って思いながら、「何か書かなきゃ」と思って、仕方ないから、今出ている映画について、「こんな物語に出ています」とかね、そんなことを書くわけ(笑)もちろん0点だけどね(笑)でも成績は悪かったし、出席も、1学期に3日しか出ていないとか、ひどかったのだけど、うちの高校は怒る先生もいなかったからね。小学校に入ったときショックだったのがね、自分の名前が、ひらがなで書けなかったのよ~!みんな、お家で練習してくるでしょ、うちなんかほら、ここで食堂やっていたから、誰も教えてくれないわけじゃない、だから、チャンバラごっこばかりしていたわけじゃない!それで、学校行ったら、みんな書けるのよ!「何を書いているのだろう・・・?」と思って。名前を書けって言われても、字を知らないから書けないのよ~、それがね、勉強でおいて行かれる第一段階だったの。そのまま、ずっと勉強ができなくて、勉強ができないから、学校行きたくないな~って思って女優になって(笑)夕方まではずっと遊びほうけていたし。でも、なんだかね、子供の時から父親が米軍の将校さんたちと仲が良かったので幼稚園の時からよくアメリカ軍の基地に泊まりに行ったの、一人で。一人で泊まってくるものだから、英語はなんだか聞きなれていたのね。しゃべれるわけじゃないのよ、教わった言葉しか言えないし、何を言っているのかわからないけれど、ご飯が出でこればご飯だと思うし、お風呂を指させば、「お風呂に入るのか~」って思うし、わかるわけじゃない。で、中学一年生の時、英語の教科書読んだら、すごく私の発音が良かったみたいなの。そうしたら、英語の先生に「発音が違う」って言われたの。「I’m  a  girl.」って言ったら、「違います、アイ、アム、ア、ガールです」って言われて。そのとき、「なんでダメなのよ!」って思って、英語大嫌いになっちゃって(笑)今でも、海外行くとよく向こうの人に言われるの、「あなたは英語がわかるのになぜ喋れないの?」って。よく海外に行っていたから、聞いて分かることはわかるのよね。特に、少数民族とコミュニケーションをとるのが得意なの!

 

—子供のころから、探検のようなことをしたり、色々なところに行ったりするのがお好きだったのですか?

 

 どうかしらね、それはよく分からないのだけどね、夏休み、冬休み、春休みは、最初から最後まで、母の実家がある埼玉に行っていたの。そこで、野山を駆け回るのが好きで。日活に入ってからは、忙しくて行けなくなっちゃったのだけどね。まだ駅からタクシーがない時代だから、1時間かけておばあちゃんの家まで歩いたり、母のお兄さんが迎えに来て自転車に乗せてくれたり、あと、牛車で送ってくれたり。

 

—やっぱり子供のころのそういった経験が、大人になってから南極のリポートに行ったり、北極点に挑戦したり、ということにつながったのですか?

 

 それがね、そうでもないのよ~(笑)はじめに南極のリポートに行きませんかって誘いがあったとき、断ったの。だって、誘いが来たのが、出発の3日前だもの。あのころに、南極が地図のどのあたりにあるのかもわからないし、そんなよく分からないところ、行かないわよって、断ったの。そうしたら、ペンギンに会えますよって言われたの。私ね、その時にペンギン語の中級の腕を持っていたの。「ペンギン語が試せるのなら行ってもいいかな」って思って、それで、行くことにしたのがきっかけ。だから、行きたくて行ったわけじゃないの。

 

—実際、いざ南極に行かれたら、感動されましたか?

 

 感動したわよ~。空と海ばかりで、突き当りが何もないの!「世界にはこんな所があるのか~!」と思ってね。その時にね、船に乗っては上陸して、っていうツアーで、その中で撮影していたから、レクチャーがあるのね、そこで、やたらと北極のことが出てくるわけ。「北極ってなんだ?」って思って、「どんなところかな~」って興味を持って、「じゃあ、仕事ではなくて、プライベートで全財産をつぎ込んで、北極点に探検に行くか!」って思って。それで、南極から帰ってきたその年からもう北極点に行く準備を初めて、もうその翌年に行っちゃったの。

 

—北極点に興味は持っても、そこで、「よし!行くか!」って思い切って決断できる人って、なかなかいないですよね?

 

 そう、正解です!万人に一人なの!なぜかっていうと、誰にでもチャンスはあるの、だけど、ほとんどの人は、それに気づかずに、一生を送るの。私は、そのチャンスが飛んできたときにつかんじゃったの!時間もお金もあって、健康な人はたくさんいるけど、誰もがやるとは限らないの。全員がそれだけ才能が違うのだから、自分が得た才能は生涯大事にして。で、あるとき、自分に才能がないと気づくことがあるの。そういう時はね、びっくりしないで次の才能を探して、次の才能が見つかったら、前のものはどんどん捨てちゃえばいいの。いらないのだから、もう。あわてなくていいの。「○○さんが学校の先生になったから、あなたも、そうならなきゃ」、なんていうのはおかしいのよ、その人はひょっとしたらミュージシャンになりたいと思うかもしれないじゃない。なれないのになろうとしたら、ストレスになるじゃない。やっぱりその人その人で才能は違うのだから、それぞれの、自分の才能を活かせるところで、成長してくらしていけばいいのよね。

 

—やりたいことはたくさんあって、でもその全部を満足のいくようにやることはできなくて、何かをバサッと切り捨てなければならない、なんていうこともよくあって・・・

 

 そうそう、何でも私もやってみたの、若いとき。すごい数やっているの。日本舞踊、長唄、小唄、鼓、それから、合気道、運転免許、お花もお茶も・・・。そんな中で、才能がなかったりすると、途中からだんだんいかなくなっちゃうの、楽しくないから。苦痛になってきちゃうの、習えば習うほど。そういうものはね、無理してやることはないので、苦痛になるときはやめて、趣味はね、どんどん次のものを見つけていけばいいのよ!笑いの消えるような趣味はやめなさいね。やって楽しかったと思えるような趣味はいいけど、無理してやるのは、「○○ちゃんがやっているから私も」っていうのは、苦痛になるだけだもの。

 

—人生の中で、自分の好きなことを見つけていくのが、楽しく生活するための秘訣ですね。

 

 そう、やっぱり人はね、枠を決められたほうが楽なの。自由なほうが大変なの。だって、自分で時間割を決めて、自分で生き方を決めて・・・自分でやらなきゃいけないのよ。規則っていうのは、それに従っていればいいのだから、楽なの。スケジュールが埋まっていれば、それに従って動いていればいいけれど、そうじゃなったら、暇で、退屈でしょ。

 

—それで和泉さんは、北極点に行かれたわけですが、一回目は途中で断念されていますよね。その時は悔しかったですか?

 

 悔しい、というよりも、それ以上行ったら死ぬからね。そのころ、気候変動が始まっていて、氷の状態も悪いし、無理していけば、死ぬしかないのね。そんな死んでまで行くことはないからね。「はい!今回はこれまで!」って、生きてかえる方を選んで。人生はまだ先があるけど、探検っていうのは、生きるか死ぬかしかないの。だから、私が常に心がけていたのは、「生きる方を取る」。死ぬ方は取らなかったの。だって、死んじゃったら、帰ってきて友達と一杯も飲めないし、バカ話もできないし、親にも会えないし、つまらないじゃない、そんなの!で、あきらめて帰ってきて生きていれば、もう一回働いて、「もう一回やろうぜ!!」っていうのもできるし。やっぱり命は大事よ!死んだら何にもできないのよ。生きてなきゃ損よ!生きてればまだいろんなことができるじゃない!

 

—だから、「生きて帰って、また二回目の挑戦をしよう!」と思って帰ってこられたのですね。

 

 生きていれば何回だって働いてお金を稼いで行けるじゃない。

 

—引き返す時からもう、またお金を貯めて二回目に挑戦しようと思ってらっしゃったということですか?

 

 だから引き返せたのよ。その決心が先についたから。そうでないと突っ込むし、自殺するかもわからない状態でしょ。仲間も分かっているから、トイレに行く時もロープをつけられて。やっぱりそういう極限状態だからね。たいていの人は断念しきれないのよ。それで自殺たりいろいろするのよ。私は、「生きていれば何回でも行けるから」って思っているから。

 

—目標があるって、すごいことですね!

 

 そうよ!いいこと言いました!!でもね、目標は大事なんだけど、北極点に行って一つだけ思ったのは、いかに目標に向かって頑張ったかという、その過程のほうが大事なの。目標は最終目的で、達成しなくてもいいのだもの。だけど、目標を失ってはならないの。北極点という目標を失ってはならないのだけれども、その目標のために、命を落としてもいい、ずるいことをしてもいい、インチキしてもいい、何をしてもいい・・・、そんなことはないのね。その時には、いかに目標に向けて清く、正しく頑張ったかっていう、そっちのほうが百倍素晴らしいの。

 

—確かに。目標が達成できるかどうかっていうのは、結果論でしかないですもんね。

 

 その通り!よくできました!!そう、やってみないと分からないしね。経験上。子供たちだってそうでしょ。受験のために勉強するわけだけど、受験という目標がないとさぼっちゃうから、受験を目標にして頑張るでしょ。だけど、それがすべてじゃないから、失敗するとショックを受ける子がいるけど、いいのよ~、最初から失敗したと思えば!でも、そのかわり、「これだけ頑張ったのだから、他のことはなんだってできるぞ!!」って思えばいいのよ!

                                             

—要するに、失敗なんてないのですね。

 

 失敗なんて、自分が失敗と思うから失敗なのよ。それを失敗と決めるのは自分じゃない。それはただの失望なのよ。「あ~、ちょっと駄目だった。でも大丈夫、こっちの道があるから」っていうほうがいいの。どうしてこんなことをいうかというと、北極点で遠征中に迷ったら、死を招くの。迷った時、悩んだ時が死を招くの。だって、自然は容赦がないから。雪だって雨だって止められないでしょ。だから、むしろそんなことじゃなくて、即決。すぐ判断して、すぐ決めて前進しないと。だから、やめる、「ここでおわり。やめよう、生きて帰ろう。」っていう風になるのね。

 

—日本に帰ってきてから、再チャレンジするまでに一生懸命資金を貯めたりされたわけですよね。

 

 そう。でも、幸い、全国の市町村から、たくさんの講演会の依頼を頂けたのでね、寝る間を惜しんで働いたわよ。毎日毎日お仕事して、お金を頂いて、4年後に再チャレンジしたから。もう、1回目の挑戦から帰る道々で「こういうところが悪かったから、次はこうしないとね」って、もう話が始まっていたの。撤退の片づけをしながらも。もう2度目を行くつもりで、そんな話をしていたの。

 

—その間に挫折とかはありましたか?

 

 ありませんよ~()私はね、挫折したことがないの。どんな人だってなんだって出来るわけなのよ。それを、「ムリムリムリ」ってやらないだけで。挑戦してみようっていう気持ちがすごくあって、興味があるから、挫折ってないのよ。起き上がれないほどショックを受けるなんて言うことないわね~。次に向けて、色々改良して、着々と準備して、それが楽しかったしね。探検って、準備が一番楽しいのよ。出発しちゃったらもうどうにもしようがないし。「いかに楽しむか」よ!そんな、準備するのに眉をひそめてやっていたって、つまんないじゃない!!機械や食料、繊維の発達は、4年もすればすごい進歩があってすごく楽しいのよ~!新しいことばかりで!

 

—新しいものに興味をもつことってだいじですね~!

 

 そうよ~!何にも興味がないと、人生終わりだと思うのよね。食べることでもいいし、なんでもいいのよ~、興味を持つものは。この歌手が好き、とかでも、なんでもいいのよ。何にも興味がない人は、だめよ~。やっぱり、何にでも興味を持てるっていうことは、いいことよ。勉強が出来なくても、」博学なのよ~なんちゃって!笑!

 

—そしていよいよ、北極点到達となるわけですが、着いた瞬間、まず何を思いましたか?

 

 何にも思わなかった。もう、足がよれよれでね、くたびれちゃっていたから。「これでやっと帰って餃子で一杯か!」くらいで。逆に、帰ってきて1週間ぐらいたってから、「ああ、本当に北極点に到達したのか!」って。そんな感じよね。いやあ~、でも、面白かったわよ~!「遠征って、こんなにも楽しいものなのか!」って。

 

—景色はどうでしたか?

 あれは、ベースキャンプのある村とほとんど一緒だったわね(笑)北極点の景色が見たくて行ったのに!(笑)

 

—そうしたら、景色よりも登っていく途中のことのほうが思い出に残りましたか?

 

 なんていうのかしらね、最終的には人との関わりよね。5人しかいないのだから。あけても暮れても一緒よ。縁もゆかりもない人と。その中で、人との戦いよね。それを、うまく采配していくのが隊長なの。こんな楽しいことはなかったわ!人事異動で一人新しい隊員が来ると全く雰囲気が変わるのよ!フレッシュになるの!空気を換えたぐらいフレッシュになってね、すごく元気が出るの!隊長っていうのは、ある意味社長であり、人事課のトップでもあり、そういうのもあって、「私隊長に向いているのかもなあ」とか思ったりして。(笑)

 

—この一連の北極点探検から得たものは何ですか?

 

 「この世の中には、お金で買えないものもある」っていうことを教えてもらったの。みんな、なんでもお金で買えると思っているけれど、お金で買えないものが世の中にはあるのよ。命とか、友情とか、経験とか、地球だって、空気だって、両親だって、買えないわよ。だから、そういうものの方がはるかに尊くて、大切なのだということを北極の大自然に教えてもらったの。

 

—たくさんのことに挑戦していく中で、失敗して悔んだり、めげたりすることはありますか?

 

 ないわね~。それこそ北極では、めげたら死んでしまうのよ~。だから、めげたら人生の終わりよ~!

 

—どうしたらめげずにいられるのですか?

 

 一つだけ言えるのは、めげるというのは、みんなに、「大丈夫?可哀そうね」って言ってもらいたいの。同情してもらいたいの。私は、それは嫌いなの。だって、病気だって、周りは「大丈夫?」って言ってくれても、苦しいのは自分だけだもの。そこからの答えは出ないのだもの。どうやったら脱出できるか、どうやって脱出しようか考えなきゃ。人は助けてくれないわよ。自分で自分を助けなきゃ。くじける暇はないはずなのよ。くじける暇があったら、次の一手を考えなきゃ。目の前のことばかり考えているからくじけるのよ。もっと先のことを考えなさい。で、次の一手っていうのは“目標”ね。一つの目標を失っただけでショックをうけていたら、心臓がいくつあったって足りないわよ!あなたは若いのだから、時間ももったいないし。この時間はもう一生帰ってこないのよ。ぐずぐず言ってたらもったいないじゃない。

 

どうすればいつも明るくいられますか?

 

 あら、明るいかしら?私。(笑)あのね、人が好きなのよ~。騙すよりは騙された方が良いと思ってい

るのよ~。と言ってもオレオレ詐欺に引っかかったことはないのだけどね(笑)。本当に楽しいのよ!毎日!一番いいのは、くじけたら「暇なんだな」って思うことね。そう考えるとすぐ忙しくなって、そんなこと考えている暇なくなるから。

 

—座右の銘はありますか?

 

 あるわよ~。つい最近思いついたの!“人生は楽しく 一年は愉快に 一日は豪快に”過去を振り返ったときに、こんな人生送ってきたなあ、と思って。好きなことだけして、嫌いなことはすぐやめて、好きな仕事をして、ストレス解消は、お料理作ったり、縫い物したり、ジグソーパズルしたり・・・etc

 

 いま一番夢中になっている趣味はありますか?

 

 そりゃあもう、ジグソーパズルよ!!今、極小パズルにハマってるの!!ちっとも終わんないのよ~、2000ピース以上のやつ。昼ごはん食べた後に、お昼休憩と称して、パズルをするの!(笑)

 

 

****このあと、別荘の写真などを見せて頂きました。****

 

—最後に、今の若者に、一言お願いします!!

 

 尊敬しています!!だって、今の若者にしかできないこと、いっぱいやってるじゃない!羨ましいし、本当に尊敬よ!だから、何でも楽しんでやりなさいね。

 

  今日は、長い時間お話をさせていただけて、本当に参考になりました。今日お話しいただいたことをこれからの人生に活かしていきます。

 

                                     インタビュアー:福岡 菜々