流れ星(漫才師)
瀧上とちゅうえいの漫才コンビ。浅井企画所属。
二人とも岐阜出身で高校からの同級生。2000年6月にコンビ結成。
2011、2012、2013、2014年 THE MANZAI認定漫才師。
2013年THE MANZAIファイナリスト。
第14回 ビートたけしのエンターテイメント賞 日本芸能大賞を受賞。
代表的なネタとして、「ひじ祭り」が有名。
✳︎インタビュー記事の最後にファンクラブ、及び単独ライブDVDの案内があります。
――20歳の頃、何をして過ごしていましたか?
瀧上(以下「た」) 二十歳の頃は…ちょうど路上コントみたいな事をやってたかな。どうやってお笑い芸人になっていいかわかんなかったから、路上でお笑い芸人…みたいな事をやってて、二人で。色々な事務所のオーディションを受けにいってたんだけど、まだ自分らが、本当にこれで飯食っていけるのかは、ふわついてたよねあの頃は。
ちゅうえい(以下「ち」) なんか、今思うと、普通に考えると事務所に所属して、周りが「この人芸人なんやな」って認めたら芸人になると思うんやけど、ただ路上コントやってる時は自分らは自分らで、傍から見たらまだ素人に毛が生えた…にもなってないのに、俺ら芸人だって思って、もしかしたら調子乗ってたかもしれないね。俺らは芸人だぞって。自分から言うのは自由だから。
(た) (笑) あのさ、ビデオの会員カードの裏にも芸人って偉そうに書いてたもんね(笑)。
(ち) 本当の芸人ならそういう事書きたがらないからね。
(た) そうそうそう(笑)。そっから恥ずかしくなって、フリーターって書き始めた(笑)。
(ち) 俺も自由業って書いてた(笑)。俺は大学行きながら芸人やってたよ。
(た) こいつなんて全然学生気分抜けてなくて、抜けてないも何も、実際学生だから学生気分でやってて、ネタの練習とか普通に、彼女とデートだとか、サークルの飲み会があるだとか、ひどい理由で断られてたよね。
(ち) あのー。俺が東京に行ってもし俺が東京の大学に一個でも受かったらこいつが大阪から来てくれる。んで、俺が全滅したら大阪に行くって話をしてたの。そしたらこれでこいつが東京に来てくれて。お笑い始める時に俺大学受かってて。大学行くでしょ?サークルあるでしょ?新歓コンパあるでしょ?お笑いうこやるっつってたのにお笑いやる隙間が無かったよね。
(た) うるさいよお前(笑)。ホントにね、当時は…まんまと騙されたって感じなんだけど、大学合格したら、大阪から東京来てくれ。って言われて、こいつは早稲田とか受けるって言ってて、こいつ超アホだったから、絶対無理だと思ってて。だからこの賭け乗ったんだけど。
蓋開けたらこいつ、15校くらい受けてんの(笑)。そりゃ1校はカスるわ。
(ち) あの、さっきも言ったんやけど、芸人って芸人って言うのも自由だから、だから俺が早稲田受けるっていうのも自由やし。
(た) 自由じゃねえよ(笑)。騙されたんだよ(笑)。で、東京出てくる時も、俺は大阪で出来た友達とか全部置いて一人ぼっちになって東京来て、で完全にひとりな訳。こいつは大学生活あるけど俺はもう一人で。自立しなきゃいけないからバイトも見つけて、一人暮らしの場所探して、何故かわかんないけどネタもなんか俺が作る事になってて、何故か。
(ち) いや俺は授業あるからね。
――(笑)
(ち) 授業大事。単位とらなきゃいけないから。
(た) だから、学生気分が抜けてないちゅうえいと、ちょっとお笑いで一人立ちしようという俺との間の熱の入り方が違うってのはあったかもね。
(ち) こいつはもう文字通り全部を捨ててきてる訳だから。ホントは実家の美容院を継ごうと思って大阪の美容専門学校に行ってて。それで1年間で当時は卒業して、あと1年お店で修業を積めば免許をとれる。だから学校の段階が終わってからあと1年ホントはお店行かなきゃいけないの。それを捨てて東京に来てるから、お笑いには相当賭けてくれてたんだと思う。
(た) 今思えば相当な凄いことだよね?
(ち) ううん。俺はそう思わないようにしてる。
――(笑)
(た) なんでだよ(笑)。思わないようにしてるって(笑)。だからあの、いまだにそうなんだけど、だいたい5年前に言った事を、5年後に瀧上が言ってた事こういう事なんだって理解するの。お笑い後進国なの。それぐらいの温度差はあったね。5年くらいの。
(ち) 20歳くらいの時はそんな感じやったね。
――気になるんですけど、全てを捨ててきた、とおっしゃってましたが、お笑いを始めたい。と思ったキッカケってなんですか?
(た) それは、高校の時にこいつと同級生の友達で5人組でコントをやってたの。仲のいいやつら集まって。文化祭とかでふざけたやついるじゃん?決して面白くないんだけど声だけでかいやつ。
――いや…(笑)
(た) まあ、そんなやつらで。その時に天然素材っていうグループがあって、吉本に。FUJIWARAさんとか、ナイナイさんとか、雨上がり決死隊さんとかいたグループなんだけど。僕らはそのグループが大好きで。で、文化祭の時に雨上がり決死隊さんのネタを丸々パクってやって。それでウケて。気持ちよがってて。それは雨上がりさんの台本が面白いんだけど(笑)。完全に俺らの実力だって調子に乗ってたのがあって。それでこいつにお笑い誘われた時も、俺の中で美容師になろうと思ったのは、お母さんが美容師やってて後継ごうってのもあったんだけど、その頃ちょうどカリスマ美容師ブームみたいなのが来てて。美容師っていえばかっこいいしモテるしおしゃれみたいなイメージもあったのよ。で、1年間美容学校行ってその時初めて職業の大変さみたいな、その…
(ち) 光の当たってない部分、ね。
(た) そうそう光の当たってない部分を初めて垣間見たんだよね。立ちっぱなしだし、手は荒れるしっていう。そこで職業って大変なんだなって思ったの。ただ、それってどの職業も多分そうなんだろうなって思って。
――そうですよね。
(た) じゃあ、よっぽどその光の当たってない部分も受け止められる職業じゃないとしんどいなーなんて思ってた時に、お笑い誘われたのよ。ちゅうえいに。そこで天秤にかけたの。お笑いと美容師どっちが耐えれるかなって。その光の当たってない部分が。お笑いも絶対あるけど。どっちだったら耐えれるかなって思ったら、お笑いだったのね。で、お笑いやろうってなったんだけど。こいつが、「お前しかいないんだ!」って言ったの。大阪まで来て。その熱意に打たれたっていうのもあるんだけど、後々聞いたら5人組って言ったでしょ?こいつ全員さそって全員断られて、最後の一人が俺だったの。そういう意味でお前しかいないんだっていうのはあってんだけど(笑)。
――(笑)
(ち) だから、俺が言ってたお前しかいなんだって言葉にしては、妙に熱い返事をくれるなと思ってたから。
(た) やかましいわ(笑)。
(ち) あれこいつこんなやつやったっけってちょっと思ったし。こいつにとってはオンリーワンで捉えてくれたけど、俺にとってはラストワンだったから。
(ち) うるさいわ(笑)。
――(笑)
(ち) そう。それで路上(漫才)をやったんだよね。東京で。
(た) 特にそういうのも経てきてるから、美容師とか。だからお笑いに対する熱意の温度差みたいなのはすごかったと思うよ。
(た) もしかして、俺が大阪に行ってたら、逆になってたかもしれないしね。
――熱が?
(た) いや、逆じゃなくてトントンね(笑)。丁度良かったと思うよ(笑)。
(ち) けど言ってもお前は学校を続ける訳じゃないのか。お店をやってるのか。お店をやりながらお笑いをやってかもしれないんだよね
(た) …いやそれはないと思うけどね(笑)。けど美容師やりながらお笑いやってたかもって思うと…
(ち) ゾッとするよな?
(た) …でも俺お前よりしっかりしてるから大丈夫やと思うけど。(笑)
(ち) いーや俺の方がしっかりしてるから。
――(笑)
(ち) ごめんね、たまに高校の同級生みたいになるの(笑)。俺ら高校から一緒やから。そんな感じ。
――ありがとうございます。次の質問です。10代から20代にかけて心が変わった事ってありますか?
(た) 俺はさっきも言ったけど、美容学校に行ったとき、職業になるっていう、光の当たらない部分を見たときだよね。こんなにしんどい事もあるんだなって。好きだけじゃダメなんだなっていうのに気づいた時は、いちばん(心の動きが)大きかったね。転換期というか。
(ち) なんやろうな…俺は、なあなあで来てて、大学もなあなあで行って、でも路上コントをやり始めて、どうやらお笑い事務所に入らないとダメっぽい。っていうのがなんとなく分かってきて、デビューっていう雑誌でホリプロに行ったの。で、オーディション受かったの。なあなあの流れで。これなんか、芸能界こんなもんなのかなって正直思ってた。ただ、そこで一緒に受かった芸人はすぐホリプロのライブに出れるんやけど、俺らはどんだけあがいても出れなかったって所で、プロとプロじゃないところの壁を感じて。そっからお笑いって厳しいんやなって思い始めたってところがあるな(笑)。そのオーディション受かったところまでは勘違いしてたけど、そっからライブ出れなかったからそこの壁は凄い厚かった。
(た) 一回も出れなかったよね。
――あの、その期間で時間がかかって出れた。という訳では…
(ち) ううん。そこの事務所では一回も出れなかった。半年間いたけど。で、やめて路上に戻った。
――因みに、その路上に戻ってからというのもお話してもらえますか?
(た) あのー。ホリプロの時に仲の良かった先輩がいて、その先輩の家に居候してて。フォークダンスDE成子坂さんっていうんだけど。その先輩に、ちょっと今日で僕ホリプロ辞めちゃったんですよ。って言ったら、その先輩と当時アニマル梯団のコアラさんって芸人さんがいたんだけど。その先輩が、「じゃあ良かったらウチ来るか?」って。浅井企画やったからさ。んじゃ俺が言っとくわマネージャーに。って言ってて。暗黙の了解で、事務所辞めたら半年間はどの事務所も入っちゃいけないみたいな。間をあけて入らないきゃいけないんだよね。で、半年間路上コントやって、浅井企画のオーディション受けに行ったら、まさかの紹介してくれるはずだったコアラさんが、三原じゅん子さんと結婚していなくなってたの。事務所移動してて、一応オーディションの時のマネージャーさんに、「コアラさんからお話は伺っていますか?」って聞いたら、「何の事かな?」って言われるし。完全に素の状態でただただオーディション受けて。でもそれは受かっちゃったんだね。で、ライブ出れるようになったから、じゃあこれもなんかの縁だから浅井企画でやろうかって感じで。だから本当に偶然というか。
(ち) なんか訳わかんないけど、最初の事務所ではどんだけあがいても出れなかったのに、その後路上やってるでしょ?その路上で別に腕があがったっていう実感もないのに、浅井(企画)入ったらすぐライブ出れたから。じゃあここにしようよライブ出させてもらえるからって。
(た) ここ層が薄いぞ!つって(笑)。
(ち) チャンスだぞ!ここ出れるぞ!って(笑)。
――それで今の浅井企画になった、と
(た) そう。だから流れ星は浅井企画からのデビューなの。ホリプロでは舞台に上がってないから。
(ち) 初舞台からカウントするんだよね。ただその時も、またか!って思ったのが、ホリプロの時に俺らと一緒に受かったのに、その子たちはすぐライブ出れてワーキャー言われ始めてんの。俺らは何やってもダメだったし。で、浅井もライブは出れたんだけど、一緒に入ったタイミングで坂本ちゃんっていうオカマの芸人がいて…分かんないかな?
――分からないですね。
(ち) それが入ってすぐ売れちゃったの。売れる人ってやっぱこんなに早いのかなっていうのは思った。俺らは多分そうやってすぐ行く側じゃないっていうのは分かったから。…けど、長くなるんやろうなとは思わんかったけど、ここまで長くなるとは思わんかった。入って15年たったから。ちょっとでもテレビ出させてもらえるようになるまで。
――15年ですか…!
――ありがとうございます。
(マネージャー) 因みに、ホリプロの時に入ってすぐ売れてたのは?
(た) ダブルブッキング。聞いたことある?あれが完全に同期だよね。その日にホリプロ受けて。
――次の質問にいきます。影響を受けた人はいますか?お笑いの先輩についても伺いたいのですが、私は教育学部で教師を目指しているので、影響を受けた学校の先生についてもお聞きしたいです。
(ち) 俺が影響を受けた先生は、中学校の時のイマイマサカツ先生っていうのがいるんだけど。俺中学校の時にいじめられてた時に…俺いじめられて全員に無視されてる時あったの。クラスの全員に。その時に、今となっては何で言わんかったのかなって思うんやけど、その時はやっぱ言えんのよ、思春期やから。いじめられてるって。家帰っても言えないし、隠すし。先生の前でも出してなかったし。他の生徒も先生が入ってくると話しかけてくるし。そういういじめあるじゃん。で、それでも急に先生が「ちゅうえいなんかあった?」って声かけてくれて。多分わかりやすく顔に出てたと思うんだけど、隠してるつもりでも。そっから、「じゃあ放課後喋ってくれる人がおらんのなら先生と喋ろう」ってずっと喋り相手になってくれたの。
(た) うわぁ。いい先生だな。
(ち) でそれで、いじめてる側はあんなの冷酷だからさ、飽きたら次にいじめるターゲット変えて俺普通に喋れるようになったの。その時にまた先生が放課後に来て「じゃあもうこの会は無しな。良かったね。」って言ってくれたのがあって。だから俺あの人がいなければあのいじめ耐えれんかったかもしれんなって思う。だってみんなの前でお前らがいじめてるってなったら、より火に油を注ぐから。その人はずっと恩がある先生。ちゃんと対個人として向かい合ってくれてた感じがした。
――素敵な先生ですね。
(た) 俺はね、あの高3の時の担任の先生で、タグチ先生っていう先生がいて。俺あの、高校3年生になって、学校全然行かなくなっちゃって、登校拒否まではいかないんだけど。…なんつったらいいのかなあ?…遊びまくってて(笑)。夜とか、バーとか行ったりしてて、高校生で(笑)。カッコつけてたのホントに。背伸びしまくってて。大人といるのがカッコいいって思ってて、夜3時ごろまでいて、帰って。昼学校に行ったりしてて。昼も行ってないわ。放課後ぐらいに行ってた(笑)。
(ち) お前もお酒飲んでたの?
(た) 俺は、パスタ食ってた。カルボナーラ。
(ち) 要は、お酒を飲んでるオトナの空間に行きたかったの?
(た) そうそう。で、放課後行って、ハーモニカ吹いて帰る(笑)。謎の行動を繰り広げていた。
――(笑)
(た) で、単位が全然足りなくなったのよ。そしたら田口先生がこの小テストやったら単位あげるよ。って言って。でやるんだけど、全然勉強してなくて、わかんないから。その…カンペみたいなの作って。それ先生に気づかれたの。でも、見て見ぬ振りしてくれたんだよね。で、そこでなんとか単位ギリギリでとって。体育とかも単位足りなくて。体育の単位足りなくてどうするかっていったら、野球部と一緒に野球をする。っていう謎の展開に(笑)。
――体育関係ないですね(笑)
(た) タグチ先生が野球部の顧問だったから。しかもさらにカオスなのは、その日雪が降って野球が出来ないから、野球部と一緒にサッカーをするという(笑)。
――(笑)
(た) もう何個もブレてるんだけど(笑)。っていうのをやって何とか単位とって。けど卒業式のその日にタグチ先生に「俺結局今日卒業出来るんですか?」って聞いたら、「まだわからんな」って言われて。卒業式当日に(笑)。で、その先生から卒業証書もらった時ブワっと泣いて。違うわ、体育館から出ていく時に泣いたんだ。その先生が体育館の袖にいて。その先生と目が合った瞬間泣いて。で、泣いてたらクラスのやつが「瀧上泣いてるぜー」みたいな事言ってたら、俺これ覚えとるんやけど、ちゅうえいが、「そういう事言ってやるなよ」みたいな事言ってて(笑)。そんな記憶がある。
(ち) 俺そんなこと言った(笑)?えー全然覚えとらんそれ。今その話聞いて今泣きそうになっとるもん(笑)。俺やったそれ?
(た) 多分…違うかもしれん(笑)。そう、その先生のおかげで、卒業出来た。他の先生やったらここまで親身になってくれんかったやろうし。
(ち) なんやろうなあ。先生からしたらそのカンニングペーパーを見て見ぬ振りってあんまりいい事じゃないかもしれんけど、ただ、なんかいいじゃん。そういうのってすげーいいじゃん。
(た) ホント(心に)残る。だから俺卒業してからもやりとりしてたもんね。
(ち) ただ、俺らの学校が飛騨地方ではけっこう進学校だったの当時。飛騨高校っていって。大学とかも結構行く学校だからさ、放課後とかすげーみんな受験勉強してるのよ。で、俺もやってる時に、ピリピリしてる時に、急にこいつが来て、ヒーターの所に座って、ハーモニカを吹いて帰っていくから、みんなそこで毎回集中力が切れてた(笑)。なんなのあいつってなってて(笑)。で、あともうひとつ、バーとか行ってる頃だろうね。放課後俺の所来て、「ちゅうえい。カルボナーラって知っとるけ?」つって(笑)。「何カルボナーラって?」って言って。俺も知らんかったから(笑)。
(た) アホどうしの会話ね(笑)。
(ち) 「クリームのスパゲッティなんやけど、めっちゃうめーぞ。」つって。俺の中でもカルボナーラは憧れの存在だった(笑)。
――(笑)。当時にとっては(笑)。
(ち) 俺らの中では、ちっちゃい頃って田舎だからスパゲッティ=ナポリタンしかもう発想がないのよ。だから、なんなんだカルボナーラは。クリームのスパゲティってなんなんだ。って。ただ俺は怖くてそこには近づけんかったけど、大人の社交場やから。「うんめ~ぞ~」つって。で、ハーモニカ吹いて帰ってった(笑)。
――(笑)
(ち) やべえやつだよ(笑)。俺ホントにやばいやつだ(笑)。
――そのハーモニカというのも、先ほどのカッコつけの一部なんでしょうか?
(た) カッコつけというか、ブルーハーツが好きだったから。
(ち) どうやらブルーハーツを聴き出してからそういう生活になり始めたから、ロックの心に目覚めたんだよね。
(た) 大人の敷いたレールなんて歩みたくねえ!みたいな。クソガキだよね(笑)。
――僕もブルーハーツ好きです。
(た) 好き?いいよね。でも本当にちゃんと大学行っておけば良かったなと思う。あの時カルボナーラ食わずに勉強しておけばな、とは思うよね(笑)。
――お笑いの先輩についてもお聞きしてもよろしいでしょうか?
(た) お笑いの先輩だと、僕は大竹まことさんだね。大竹まことさんって知ってる?あの人3人組のお笑いコントグループで、毎年単独ライブ全国ツアーやってるの。知らないでしょ?
――知らないです。今もですか?
(た) 今も今も。俺も全然知らなくて。ラジオで初めてレギュラーやった時に、大竹さんとお話するようになって。で、その単独ライブ見たら、もう衝撃的で。めちゃくちゃ面白かったの。だってもう60近いおっさんたちのネタなんて絶対つまんないなって俺思ってたの。そしたらもう、衝撃的な面白さで。攻めてる笑いっていうか。前衛的なお笑いで。これはすごいなと思って。アンケートみたら、「やっと息子と来れるようになりました!」って書いてあって。この人いくつから、ずっとファンなんだろうって。こういう職業とかだと、大体離れてったりするのよ。「一生応援します!」つって。あれ?彼女死んだのかな?って思うぐらいすっといなくなっちゃうものなんだけど、ずっと根強いファンが何百人も何千人もいて、全国ツアーだけで何千万も稼いでるっていうのを知って、これはすごいなって。こんな感じになりたいなって思って。いつかはシティボーイズさんみたいになりたいなっていうのがホントに目標だね。
(ち) 俺ら漫才やってるんだけどね。コントじゃないんだけどね。
(た) でも、シティーボーイズさんみたいに、ライブだけで何とか食えるようになったらいいなっていうので、僕らも今全国ツアーやったりとかしてる。シティーボーイズさんをお手本にして、ライブをやってる。
(ち) だからもう、ネタは大事だなってのはある。シティーボーイズさんも帰る場所があるから。そういうネタをやる場所が。テレビとかに出るのも大事やと思うけど、やっぱりネタをちゃんとしとかないとダメなんだなって思う。
(た) 帰る場所がね。シティーボーイズさんも大竹さんはバラエティーに出たり、きたろうさんは映画出たり、斉木さんも映画出たりとかしてるけど、結局本当にやりたい事はその全国ツアーなんだって思いがバンバン伝わるもんねやっぱ。みんな多分きたろうさんとか斉木さんとかの、狂気さとか知らないと思うけど、相当面白いよ。半端ないよ。
(ち) おっさんでここまでネジぶっ飛び続けれるのって凄い事やからさ。俺は、同じ事務所のじゅんごさんっていう先輩と、東京ダイナマイトっていうコンビの松田さん。この二人がいなかったら今の俺は無いと思ってて。それこそ一番最初に行ったけど、路上やってた頃なんてなあなあで。俺芸人なんです。って言ってた俺を変えてくれたのがその二人やったから。だから俺はこの二人には頭が上がらない。本当に失礼な事言ってたから。東京ダイナマイトさんがM-1グランプリの決勝行った時、当時のM-1なんて凄いのよ。一回出ると。一気に知名度も上がって、大人気になって。で、その時に松田さんがいつも凄い声かけられてるの俺ずっと見てて。でもちょっと経つとお客さんとか離れたりすることもあるから。そういう時とかまた松田さんに声かけてくれたお客さんがいて。その時に俺先輩の松田さんに対して「松田さんってまだ人気あるんですね」って言ったりとかしてむっちゃ怒られたりとかしてたから。そういうヤベーやつやったから。そういうのをいちいちちゃんと諦めずに怒り続けてくれてくれて、見捨てずにいてくれたから、じゅんごさんもそうだし。その二人には本当に頭が上がらないっていうのはあるよね。この人達の背中はずっと追い続けたい。あと、テレビを見てる頃からでこの人やっぱ素敵だなって思う先輩は、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんで。もう上島竜兵さんはすっごい大好きだったのね。ああいうバカみたいなお笑いが凄く好きだから。で、上島竜兵さんに初めてお会いした時に、その日は舞台で一緒だったんだけど、テレビの人やから緊張してて。「流れ星のちゅうえいといいます~」って言ったら、「知ってるよ」つって。なんで知ってたのかって言ったら、当時中野だけでやってるお笑いライブを中野の人たちだけが見れる環境だったのね。中野ケーブルテレビっていう。で、上島さんはあの辺りに住んでて、俺らがたまたまそのライブに出てたのを見ててくれてたの。それだけで覚えててくれてて。当時裸足でやってたんだけど、俺はその時靴履いて挨拶しに行ったら、「今日裸足じゃないんだね」って言ってもらって、うわーってなって。
――そういう細かい所まで見てて下さるんですね。
(ち) もうカッコいいの。で、俺がそうやって感動してるのを見てたジモンさんが「ちょっと流れ星君。竜ちゃんってね、お笑いでウケなかった時の保険で、帽子を投げるんだけど、訴えてやる!って。今日はそんな保険なんかやらない。流れ星君がこんなに感動してくれたんだから、今日はカッコいい竜ちゃん見せるよ。竜ちゃんの事好きなんでしょ?」「ハイッ!」つって「今日は、ちゃんと笑いをとる。見といて。」つって、舞台にあがって行って。それで、カッコいいなあって思ってる途中で帽子を投げる音が聞こえたんだよね(笑)。それ込みで素敵なんだよね。多分上島さんも、ちゃんと笑いを取りに行こうと思ってくれてたと思うんだけど、エライもんでちゃんとスベったんだよ(笑)。
――ははは(笑)。
(ち) ちゃんとスベって帽子を投げるってところまで込みで人間味があって素敵な先輩だなって思う(笑)。
――素敵ですね。
(た) うん素敵。ドランクドラゴンの塚地さんも、すごい緊張しいで、きたろうさんに、緊張するんですよねって声かけたら、ちょっと忘れちゃったんだけど、すごい素敵な言葉をかけて下さったみたいで。緊張なんてさあ、みたいな。ウケると思うから緊張するんだよ。自然体でいいんだよ。とか何とか言って。で、シティーボーイズさんのライブ見に行ったら、出てった一発目のきたろうさんがガチガチに緊張してて(笑)。可愛いなって(笑)。そういうの込みでね素敵で(笑)。
(ち) だからあのー結局、可愛い大人の人って素敵だよね(笑)。みんなさ、それはそれで立派だと思うけど、ちゃんとした仕事の人ってちゃんと大人になっていくじゃん。
――はい。
(ち) そういう人たちってちゃんと子供のまま居続けれるって凄い事だから。カッコいいよね。
(た) 今思うと、隙のある大人で、隙があるんだけどツッコませない大人と、隙があって、ツッコませる大人って全然違うの。これね、特に今SNSとか発達してさ、みんなそうなんだけどさ。全員がツッコみたくてしょうがなくなってない?色んな事に対して。
――すごい、わかります。
(た) わかる?ボケ側にまわりたくないでしょみんな。で、何か細かい事を見つけた時に限ってブワッと一斉に攻撃するじゃん。しょうもない事でもさ。前だったらそれが笑い話で済んだような事が、みんな一斉に攻撃するような事によって、大事になったりとかするんだけど。で、そういうやつらってさ、自分はいじられたくないからさ、普通にしようとしてるんだよね。で、周りにボケてるやついねえかずっと探してるんだけどさ、その様って一番そいつ滑稽だなって思うの。カッコわりいなって思っちゃうの。
――隙がないってことですか?
(た) 隙がなさそうに見えてるけど、実は隙だらけじゃんそいつ。だからそれを隙なさそうに見せるような事がもうすでにダセェなってなっちゃってて。だから俺わざとそういう隙を作ってる大人とかすっごいカッコいいなって思ってて。その、ツッコませる側にまわってるというか。
(ち) たださ、きたろうさんはさ、隙作ろうと思ってやってる訳じゃないよね(笑)。カッコいいのはわかる。上島さんもそうだけど、ガチであの人たちは、俺らは隙のない大人だって思ってるのに、そういう隙ができちゃうのがいいんだよね。そこがね、むっちゃ可愛いんだよね。
(た) ただ、みんながツッコミ側にまわってるけど。…そうじゃなくてボケ側っていうかツッコまれる側っていうのがホントは世の中を動かしている立場だし、みんなそうなんだよ。最初は否定される側なのよ、0から1を生み出す人っていうのは。絶対そこは誰もやんないんだって。でもそれをやる人たちが本物かな、とは思うね。
(ち) 下手したらそのまま大成しない場合もあるけどね。あるけど、凄いよなって思う。歴史残る人はそういう事やってる人しかいないからね。
(た) みんなから何やってんだかってツッコまれつつさ。でも、そういうところからスタートするんだよ。俺らお笑い芸人もそうなんだけどさ、何やってんだかってみんなに言われてスタートだからさ。みんなもそこは恐れないでほしいね。ツッコまれる事に。
(ち) 絶対言われるよ。変わった事すると。だって田舎でさ過ごしててさ、あそこの息子お笑い始めたんやよ、って言われたらそれはもうツッコミやん。なんでそんな仕事やり始めたんやろうね、って。絶対言われるけど、それはもうしょうがないよね。別にホントにやりたい事が公務員とかでも俺は素晴らしい事だと思うしね。
(た) そう。周りの目とか周りのツッコミを恐れて、何もしないのはもったいないと思うよね。自分がこう決めたんだと思ったら、周りに何と言われようとも。絶対言われるから。でも俺らも最近気づいたんやけど、漫才師ってわりかしピン芸人とか変わった事やる芸人をツッコむ習性があったの。だから、何やってるの色物な感じになってとか、心のどっかで、あーあキャラいれちゃってとか、ツッコむんだよ。でも、裏を返すと俺らはびびってそこまでボケ側にまわれないっていうか、思い切っていけなかったんだよね。
(ち) 勇気ある人達。
(た) そう、勇気ある人達なんだよ。心のどっかで羨ましいと思ってたんだよね俺らは。で、やっと去年ちゅうえいのギャグを前面に押し出して、やっと俺らもツッコまれる側になれたっていうかさ。
(ち) でも、ギャグなんて10年ぐらい前からやってて。その当時言われてたもんねいろんな芸人さんに。「なんでさ、テレビでギャグやる場所ないのに。ギャグなんかやり続けるの?やっても意味ないよ」っていうのもずっと言われてたよ。そういうもんだよ。そういう人に限って「お前ギャグ10年やってて良かったね」って言うし(笑)。
(た) やっぱギャグ漫才やってる時はやってる時で、やっぱ何やってんだみたいな空気はあるんだよね。他の芸人から、色物になっちゃったね。みたいな事も言われるんだよね。でも結局そういう奴らってのは逃げてるだけというか。お笑いだったらそうだけど、いろんな職業にも当てはまると思うから。そこは、びびらずに、逃げずに、どんだけイジられようが、自分の信じたところは、勇気を持って、ボケる。ボケるっていう定義は今言ったような事なんだけど。
(ち) じゃあ変わった事やればいいんだ、っていう訳でもないんだけどね(笑)。そことは微妙に意味の違う、難しい事なんだけどね。
――中学や高校、大学でのどんな部活やサークルに所属してらっしゃったのか、その部活やサークルから何か学んだ事があったら、教えていただけますか。
(ち) うーん。俺は、中学バスケット、高校もバスケットやってて。中学の時は3年間やったんやけど、高校の時はしんどくなって高2で辞めて、高3で、華道部に入ったの。
(た) 最後、卒業アルバムの時に、部活動紹介のページがあるの。で、どうしてもこいつはその写真に納まりたくて、無理やり華道部に入ったの。
(ち) 写真に写りたくて入ったんやけど、何を学んだかというとやっぱ、花の生き死にかな。
(た) うるせえよ(笑)。なんも学んでねえだろ(笑)。卒業アルバム見るとウソみたいに花に囲まれたこいつがいて。女子と花に囲まれて(笑)。ひょろひょろの男二人ぐらいと(笑)。僕はずっと剣道部ですね。小学校からやってて、中学高校と剣道部で。けっこう体育会系だったんで、上下関係ですよね。僕はもう叩き込まれましたね。1年先輩の言う事は絶対だったんで。突きの練習台にさせられるんですよ。壁の四隅に後輩がハマってずっと突きをくらってる。かかしのように。
(ち) そういうの今となっちゃ問題になるけど、あの頃ってそれが、古き良きなのかわからんけど、そういうところが本当の体育会系だって感じだよね。
(た) もう首が傷だらけで真っ赤になるんすよ。外れるから。で、次の日学校に行くとちゅうえいとかに「おぉっ!キスマークつけて!」みたいな事言われて、僕もこいつに突きをうとうと思いました(笑)。だから、上下関係は後輩とかにも厳しくなっちゃいますね。
(ち) でも最近こいつ怖い先輩に近づかないから。それが一番の課題かもしれないね。優しい先輩の所には近づくけど。
(た) 僕上下関係にうるさいくせに、敬語がへたくそなんですよ(笑)。
――(笑)
(ち) だから今となっちゃ下にだけ厳しい厄介な先輩(笑)。剣道で何学んだんだろうなって思って(笑)。だって元々人付き合い良かったの瀧上だったもん。で俺が、内向的で。「お前もっと横の広がり広げろよ~」ってよく言われてたんだけど、今蓋開けたら俺はすげえそういうところ行ってるの。睡眠時間削ってでも行くんだけど、気づいたらこいつが家でストリートファイター2しかやってないの。
(た) (笑)。あのね、これホントに、仲のいい先輩がどんどん辞めてっちゃうのよ。俺本当に尊敬したり、好きになったりしないと、先輩に行けないというか。本当に好きになったらとことん尽すタイプ。もうその先輩が行けって言ったらすぐ行けるし。そういう先輩が今まわりにいないっていうか。でも、やす(ずん)さんか。
(ち) でも、やすさんは優しいやん。
(た) やすさんは優しいから、また意味合いが変わってくるんけど。そうだねえ。なかなか…出会わないね。浅井企画っていうちっちゃな事務所だから、先輩も数少ないんだよね。
――ありがとうございます。
――最近テレビでよく流れ星さんを拝見するようになって。
(ち) ありがとうございます。
――やはり、テレビに出られない時期が長かったと思うんですが、その時に心が折れそうになっても折れなくていた理由や、そういう時にどうしていたか、などを教えてください。
(ち) なんやろうな。多分、売れてる人って絶対に一回はへし折られてる人しか売れてないと思う。何にもなくすんなり売れてった人もほんの一握りはおるけど、大体9割5分はへし折られた人ばっかだと思う。先輩たち見てても。
(た) 折れて骨が強くなるんだろうね。
(ち) そう、太くなるんだろうね。で、俺らの場合で折れたって言ったら、今THE MANZAIって大会があるんだけど、その1年目で決勝行けなかった時とかかな。M-1グランプリって漫才の大会がその前にあって。それにもずっと挑戦し続けてて。毎回準決勝まで行くんだけど、決勝には行けない。M-1ってこうした方がいいんじゃないか、みたいな噂も回ってきて、そういう対策を一生懸命練ったりしてたんだけど、今思うとその対策を練る事自体が一番間違ってたんだなと思うんだけど。自分たちがやれる事をやらないとダメだったんだよね。M-1の決勝行ってる人たちはそういうことがやれてた人で。で、THE MANZAIが始まって。THE MANZAIの決勝が一年目だけ16組決勝に行けたのよ。M-1の時って敗者復活含めて9組だったから。だから数増えたし、俺ら今まで準決勝までいけてたから、いけるんじゃないか。しかも今までM-1でチャンピオンになった人たちもいなくなってて。これもうよりいけるんじゃないかって思って。そん時に自分たちの漫才も普通にウケてたし、いけるな。って思ってたけど、それでいけなかった時。今までM-1でも準決勝いけてたし、THE MANZAIでも準決勝まではいけてたし、ウケてたから。もうどうしたらいいんだろうって、本当にその時は心が折れたよね。そこが一番折れたね。
(た) 思春期でも一回も出来たことのないちゅうえいの顔にニキビが出来たの。
(ち) しかも3つ(笑)。それから厄介な事に体が、この子ニキビ出来る子なんだ。って勘違いしちゃって、それからニキビ出来るようになっちゃったから(笑)。体質が変わっちゃった。
(た) 僕もその時は折れたけど。あのね…定期的に折れてはいるね。最後のM-1に行けなかった時も…
(ち) M-1は2回折れたな。ただ俺は一番デカく折れたのはTHE MANZAIのそれかな。年も年だったから。
(た) まず一回目はM-1で、敗者復活戦で、俺らとオードリーがすごいウケて、オードリーがいった年があったのよ。で、その時色んな人からメールとかで、「流れ星かオードリーだぞ」って言われてて、見てる人とかも、大体流れ星かオードリーってみんな言うのよ。その時見学に来てたウチのマネージャーは、泣いちゃって。ウケすぎて、流れ星が。感動してるの。そのぐらいウケちゃったの。それこそちゅうえいがお世話になってる東京ダイナマイトの松田さんも「俺は、流れ星だと思う。」っていつもふざけた事しか言わないんだけど。真面目な顔して言うのよ。「なぜなら、オードリーは決勝行ったら優勝する確率があるから、そんな事吉本はさせない。行っても最下位ぐらいのお前らが行くはずだ。」って(笑)。今考えればひどい事言ってるんだけどね(笑)。
――そうですね(笑)。
(た) けど俺らは、「そうですかー!」つって(笑)。「なるほどー!」って(笑)。
(ち) 俺らもう目の前の決勝行くことしかもう見えてなかったから。行けりゃいいって気持ちしかなかったから。
(た) で、決勝行くつもりで、トイレで2本目のネタ練習したりとかして。で、ダメだった時はもうガックリしたね。しかも行ったのがまた仲のいいオードリーだったからさ。あとは、さっきちゅうえいが言ったTHE MANZAIの時の事。で、その二日後に、こいつとネタ作りすぐやって。そこで、もう俺はM-1グランプリとかでやってた、きっちりした、きれいな漫才を作るのをやめよう、と、もうええわ、と。さっきも言ったけど、みんなからイジられるような漫才。ばかばかしいやつ。ギャグ盛り込んだやつ。そういうのを作ろうって言って。そこがターニングポイントになったね。
(ち) 俺は、先輩でM-1決勝行ってる人とかの意見聞いてて。自分らがやれることしかやっちゃダメだ。じゃないと決勝行けない、っていうのも聞いてて。何回も。こいつにも言ってて。
(た) そうやって言うけどさあ…(笑)。…やらしいなあお前(笑)。
(ち) や、でもホントに、こういう風にスタイル変えようとかは言ってないけど、間にギャグ入れてみたらどう?ってのはずっと言ってたの。ただその時のM-1が俺らの中では、違う風に映っちゃってて。ちゃんとした漫才、面白い漫才。発想が独特な、本として面白い漫才を作る方向に俺らは向かっちゃってたから。この子も結構頑固やから。ギャグなんか入れたら漫才の邪魔になっちゃうよ、って言ってたんやけど。心折れて、「ギャグ入れようか?」って言ってきた時、「そうやなー」って顔では反応しなかったけど、「ヨッシャー!」って思ってて(笑)。ただ、それでダメだったとしたら、それはそれで諦めはついてたかもしれないね。結局自分らがやれることはそれ(ギャグ漫才)やったから。その時の時点で。
――今の形になるまではすごく長かったんですか?
(ち) 長いね。その年やったっけ、おもしろ荘?
(た) うん。そこからすぐだよ。俺がちゅうえいに、じゃあばかばかしいやつやろうって言って、その1週間後ぐらいに出たライブで、たまたまおもしろ荘のスタッフが見に来てて、それいいね。今度出てよ。って言われて、出て、優勝したんだよね。
(ち) ぐるぐるナインティナインが正月の夜中にやってる番組でね。若手が出る番組だから、オーディションもいっぱいある訳よ。何回行ってもほとんど箸にも棒にも掛からなかったのに、変えて一週間のネタが10年以上やってきたのに、それ面白いねって言ってくれて、出て、優勝出来た時に、あ、これ何とかなるんじゃないかなこっちで、って思ったよね。
(た) 今までの、どれか一つでも欠けてたらここまで来れなかったかもしれないよね。
(ち) 本当にそうやと思う。
(た) 変にテクニックとかは15年もやってるから、身についてるから、ある程度ウケてしまうのよ。違ったネタだったとしても。でも本当はそうじゃなくて、自分らが持ってる、人で笑わさなきゃいけないんだけど、それに気づくまでだいぶ時間がかかったよね。
(ち) ホント厄介なのが、ウケちゃうから変えれないんだよね。スベってたら変えようと思うけど、ウケちゃうからこれでいいんじゃないかって思っちゃうんだよね。だから髭男爵さんとかは、勇気がある事をしたんだなって思った。ウケてても変える人は変えるから。ワイルドスギちゃんとかも、元々コンビでやってた時すげえウケてたんだよね。それで、解散して、次におっぱい先生っていうのもやったの。で、おっぱい先生もウケてたんだけど、あの人の中では、これウケ弱いって言って、俺らからしたらもしかしたら続けてたぐらいのウケかもしれないけど、それすぐワイルドスギちゃんに変えて。もうハマらないなら、はいダメ。いつかハマるまでキャラ変えていこう。っていうのがすごいカッコいい。勇気の表れだよね。
――切り捨てる勇気というか。
(ち) だって毎回変える度に、みんなにバカにされるんだもん。なんであれ続けねえんだよって。
(た) ウチのネタ全然変えない、しゅくはじめ兄さんに教えてあげたいね(笑)。
(ち) でもしゅくはじめ兄さんは人間力半端ねえから(笑)。
――では次の質問で、今まで芸人を続けてきて、ずっとすごく長い間、苦しい中も続けてきて、よかったことは何かありますか?一番は…
(た) でもやっぱ一番嬉しいのは、お客さんの笑い声かな。なんか、ありきたりになってしまうけど…。これがあるから麻痺してくるっていうか、やめらんないみたいな、感覚かな。
(ち) 嬉しかったこと?俺は…THE MANZAIの、俺らワイルドカードからあがったんだけど、ワイルドカードからあがって、次スタジオ行くときにエレベーター乗るの。で、エレベーターの中で、普通にこいつ(瀧上)と握手したとき。
(た) (笑)。
(ち) そのー、俺はもしかしたら、あそこは結構嬉しいところ。で、そのまま上に上がって、今のマネージャーが上で待っててくれて、三人で握手したときも俺は同じくらい嬉しかった。
(た) あー、そうだね。なんか、映画の最終回みたいな!映画かドラマの最終回みたいな。
(ち) あんとき俺ちょっと、これからネタやるのに、ちょっと、じわっときてたもん。じわっときて、「あ、こんなんじゃだめだ」と思って、そのまま、ステージの裏行くのよ、敗者復活の人は急いでね。で、ツッコミとボケによってコンビでも違うんだけど、どっちに行くかって。そのステージがあったら、こっちが例えばツッコミ、こっちがボケ、あるコンビではこっちがボケ、こっちがツッコミってあるんだけど、俺の場合は、こっちがお客さんだとしたら奥の方にいたの。で、奥の方に行ったときに、たまたま俺らのコンビの前の出番の人がまだいるわけよ。その一個前がやってるから。そこにいたのが、何の運命か、東京ダイナマイトの松田さんだったの。俺らの直前が、東京ダイナマイトさんだったから。何千人、何万人いる芸人の中で、あの場で、しかも、俺らが敗者復活であがるなんてのもわからんのに、あがっていったら直前にいるのが松田さんで、松田さんが、「お前、来ちゃったの」って言われた瞬間、もう俺ほんとに…ちょっとやばかったよね(笑)嬉しかったというか。
(た) で、なんて言われたの?
(ち) 「もうほんとに、俺らがこのブロックで勝つのだけは邪魔しないでくれ。票を散らすのはやめてくれ。」って言われて、「わかりました。俺らはちゃんと、ダイナマイトさんが票行くように俺らはやります。」って言って、変にウケて、綺麗に票が散って、俺らとダイナマイトさん、ダイナマイトさんに行くはずだったような票も俺らの方に流れて、それで俺らが、わーってやっとる間に、漁夫の利で、NON STYLE がシャーっと勝っちゃった(笑)
(た) (笑)。
(ち) で、終わった後に松田さん、「おめー、何散らかしてんだよ。」って言ってるけど、その時のあの何とも言えない表情が、結局かわいがってた後輩が上がってきたのも嬉しいっていうのもにじみ出てて…
――すごくいいお話ですね。
(ち) 俺もそれが嬉しかったもん。あそこの、その三ケ所の空間が俺すげー嬉しかったの。
(た) なんか俺が、お客さん笑わす、っていうのがしょぼく見えてくるな。
――いえいえいえ、そんなことないです(笑)。
(ち) いや全然全然!俺はほんとにそこだもん!
――で、それでちょうどTHE MANZAI のそこで、肘神様のネタやったりして…
(ち) そう、やったやった。
――それで、テレビにすごく出るのようになって…
(ち) うん、だって松田さんも「うわーお前ら、けど、肘神やるんだ。散るなあ~」って(笑)。
――素敵なお話をありがとうございます。
――何か座右の銘とか、ありますか?
(ち) んー…。
(た) 座右の銘ねえー…。
(マネージャー) うん、聞いたことないな?
(た) 考えたこともないですね、座右の銘。座右の銘じゃないですけど、いつも思ってるのは、「頑張りますっていうやつは、がんばらない」っていう風に思ってて、こいつ(ちゅうえい)にもよく言ってたのは、「じゃあがんばれよ」「あー、わかった、じゃあ明日から頑張るわ」「何頑張るの?明日」「いや、がんばる」「いや、何を?」…ってこう、具体性が無いんだよね、「頑張ります」っていうやつに限って。「○○をやります!」って言うんだよ、やるやつって。
――具体的に…
(た) そうそうそう、具体的に言うんだよね、やるやつ。だから、「頑張ります」っていうやつは頑張らない、っていう、なんか俺の中にあるから、うん、だから俺も、頑張りたいときは、「頑張ります」って言わないようにしてる。「○○を明日やる」って決める。明日例えばネタを3つ作るとかー、なんか、今年はちゃんとツッコミを出すようにする、とか。そういう風には思ってるね。「頑張ります」っていうやつは、俺は信用しないようにしてるね。後輩にしても何にしても。
(ち) 俺は、「ゼロは悪」だね。別にある言葉じゃないけど。お笑いで今、すごいテレビ出てて意識してるのは、どんな番組でも、ギャグは絶対一回やるようにしてるけど、例えばそれがウケようがスベろうが、ウケたらウケたで嬉しいし、スベったらスベったで何かしらの科学反応起こるから、なんにもしないで終わるのがいっちばんダメだと思ってるから、そういう意味で、ゼロは悪、だなあ。
――何か絶対に爪痕を残そうと…
(ち) 爪痕を残そうとすると、ウケに行くから違うんだけど、じゃなくて、やれることはやろうとしてるんだ。やれることはやるっていう、一回は最低。
(た) あの、人生のバッターボックスに立ったら、見逃し三振だけはするなってことね。
(ち) そう、バットは振るだけ振れってこと。もーとりあえず。
(た) じゃあ、「バットは振るだけ振れ」でいいですか?(笑)
(ち) いや俺、「ゼロは悪」なんだよ、ほんとに。ずっと、頭にある。
――ありがとうございます。
――では、次の質問で、「流れ星」というコンビ名はどのようにつけられたのですか?
(ち) 瀧上が勝手に決めたの。
(た) いや俺じゃねえよ(笑)あのー、これは、コンビ結成したときに、ちゅうえいが、なんか、日本語の名前でなんかいいのないかな、って最初決めてて、で、一番コンビ名、つけるのって、コンビで、あの一番楽しい瞬間なんだよね、その、初めてのカップルがさ、初デートどこに行くのか決めるくらい、わくわくするの(笑)なにどうする?みたいに(笑)それでさー、一生続くわけじゃん。で、一番最初に言ったのがー、「キティくん」って。
――キティくん…
(た) 全然おもしろくないじゃん?キティちゃんじゃなくてって。
――あー…(笑)
(た) 全然おもしろくねえじゃん、って思ったけど…
(ち) いや、こいつめっちゃウケてたよ(笑)
(た) そう、あの当時ね!その当時はすっげー面白い!やべー!って
(ち) 「ちゃんじゃねえのかよ!ちゃんじゃねえのかよ!くん、くんって!」つって(笑)
(た) とんでもない、これはダウンタウンさん超えてしまうな、とか思ってね(笑)
(ち) 俺もまじで何でおれこんな才能あるんだろって(笑)。
(た) いやでも名前面白くってもな~ってつっててー(笑)。
(ち) まままま、そうやな、つって(笑)。名前で、ネタ、ウケんかったら、もうあれやもん、おかしいもんなーつって(笑)。
(た) うん、とか言って、その次に言ったのが何だっけ?
(ち) 「赤森県」。
(た) 赤森県っていう(笑)青じゃねえのかよって(笑)
(ち) 「青じゃねえのかよ!(笑)ちょっと待って、ちょっと待って(笑)」って(笑)。
(た) (笑)そんなウケてた?(笑)
(ち) むっちゃウケとった(笑)
(た) そう、今思えば酷いよね~(笑)。酷いレベルなのに(笑)。
(ち) 「けどさー、けどよー、それもー、だめや!コンビ名面白しすぎるわ!」つって(笑)俺もまあ、「そやなー」、なんて言いながら(笑)もーホントにあの時、俯瞰のカメラで撮っときたい(笑)。過去に戻れるなら(笑)。
(た) ぶん殴りたいな、その二人(笑)。
――すごい似たような名前といいますか…(笑)
(ち) そう、だって発想が一緒だもん(笑)
(た) で、その次に、出したのが、「流れ星」っていう。で、その二つと比べたら、明らかにね、コンビ名っぽいしー、
(ち) 「まま、これが普通やぜー」って言いながら。「流れ星、ま、まあ、普通やけーど…そやな、その3つやったらそれやなー、あとの二つ面白すぎるからなー!」つって、それに…
(た) ちょっと待って、どっちだっけ?赤森県、キティくん、流れ星、だっけ?
(ち) そう。
(た) そっか。まあ、どっちでもいいんだけど(笑)
(ち) そう、どっちでもいいかなって俺も(笑)
(た) だから、消去法だよね(笑)。で、多分、もうちょっとあと15分あったら、もっといい名前になってた(笑)。
――なんで、流れ星は、パッて出てきたんですか?
(た) わかんない。こいつが勝手に…
(ち) なんか…わかんない。あのー、面白くない名前考えた。ウケすぎても、って…
(た) で、そのとき思ったのは、あーなんか、願い事叶えそうでいいよね!みたいな…。
(ち) で、今となっちゃ、お客様の願いをかなえるためって、後々の説明がついている(笑)。
(た) 後付けでね(笑)。
――あっ、そちらも後付けで…
(ち) 後付けも後付けよ(笑)。もー、8年くらい経ってからできた理由やもん(笑)。
――そうなんですか(笑)。
――ありがとうございます。
――また話が戻るんですけど、20歳の頃の自分へ言いたいこと、ありますか?
(た) 二十歳の頃なあ…。なんだろな~…いろいろ言いたいなあ~…。…その、笑われてもいいから、ちゅうえいのキャラを生かした、漫才を、やりなさい。ギャグを生かしたネタかな?漫才でもないかな?
(ち) んー、多分、それ言っても、今にはなってないんだろうな。早くなってるわけではないんだろうなって思う。
(た) 意味がわかんないからなー。
(ち) んー、ちょっと意味がわかんないし、けどそういうこと、言いたくなるんだよ(笑)。言いたくなるけど、俺は…お前調子乗るからあんま言いたくないけど…たけしさんにツッコまれる日来るぞ、っていう(笑)。
(た) 調子乗るやろな~(笑)。
(ち) けど、言いたくないな、ぜってー調子乗るもんなー(笑)「俺、たけしさんにツッコまれるから、大丈夫大丈夫!」って言いそうやから言いたくないなあ~(笑)。
(た) 歴史変わってる(笑)。これ言ったら歴史変わって、ツッコまれなくなる(笑)。
(ち) そやな(笑)。やっぱ、俺違うわ。変えるわ。
――違うんですか?(笑)
(ち) あのー…猫の服見つけても着るな!
(た) いやいやいや(笑)。
(ち) 一時あれ見つけて、10年着ちゃったから。猫の服にだけは気を付けろ!で(笑)。
――それはダメなんですか?(笑)
(ち) あれは遠回りやぞって(笑)。かな。
(た) ちょっとは最初はウケるけど(笑)。
(ち) そっからお前10年続けるから(笑)。猫の服に気を付けろ!猫の服を見つけても買うな!にしといて(笑)。
――因みに当時はキャラを生かしたネタじゃなかったら、どういったネタをやってたんでしょうか?
(た) 当時?当時は本当に普通の漫才だよね。漫才コントっていう、いわゆる。俺~~なりたいからお前は~~ってやつだよね。
(ち) 要は、台本があれば誰がやってもウケるネタ。別に俺らじゃなくてもウケるネタ。他の面白い人たちのネタは、この本はこの人たちじゃないとウケない、ほかの人がやっても全然面白くない。っていう、その違い。
――ありがとうございます。
――私たちもうすぐ二十歳なんですけど、二十歳のうちにやっておくといい事や、アドバイス、メッセージ等を良ければお願いします。
(ち) これね、一斉に合う自信あるよ。
(た) じゃあせーので言おうか。せーのっ
(ち) 免許! (た) 車の免許!
――(笑)
(た) そうね、俺ら車の免許二人とも持ってないの。
(ち) マジで免許(笑)。
(た) とっときゃ良かったと思って。今取る暇もないし。
(ち) あの、…免許って凄いよ。どの仕事関係なく必要だもん。免許ってね、凄い(笑)
――テレビでも、車運転しながら~みたいな仕事ってありますよね。
(た) 多分免許あればちょっと仕事も増えてる(笑)。
――岐阜出身なので、持っているものかと思ってました…
(ち) だって、車社会やもんね。
(た) みんな高校卒業して、休みの時に取ってたんだけど、俺遊び呆けちゃって。
(ち) こいつはカルボナーラの虜になってたから(笑)。
――(笑)
(た) マジで何やってたんだーって思って(笑)。
(ち) マジで行っておけば良かったからね。今思うとあの頃の方が安いしさ、免許代とかも。
(た) 合宿だったらもっと安いしさ。そしてさらに合宿なんて出会いもあるしさ~…
(ち) マジで免許!(笑)
(た) そうだ!当時の俺に言いたいことは、免許早く取れ!で(笑)。
――変わりましたね(笑)
(ち) そこやっぱ変えといた方がいいって(笑)。俺もさっき思ったけど。
(た) 今からでもいいから免許早く取れ!で。
(ち) 俺は猫の服見つけても買うな!で
(た) ぶれないね(笑)。
――想像以上に実用的な答えでした(笑)。
(マネージャー) 裸足になるな、とかな?
(ち) そうそう(笑)。
(た) (笑)。親父の小言みたいな(笑)。冷酒は後から効く、とか(笑)。
――人生において、20歳の時しかできない事、やると楽しい事など…今とても実用的な事を伺いましたので(笑)。心の持ち方というか、そういった面でもよろしいでしょうか?
(ち) やったら…、例えば学生さんでいうと、旅行とかしといっぱいしといたらいいんじゃない?心の持ち方じゃないかもしれないけど。ホントに出来なくなるから。で、旅行行くと絶対考えとかも広がるし。って俺は思うな。教科書で見たからいいや、じゃなくてそういうところも実際行って見ると全然違うし。
(た) 俺はさっきから言ってるけど、周りのツッコミなんか気にせずに、自分のやりたいように。ただし、自己責任で。かな。
(ち) 自己責任って言葉が付きまわるからね。
――20歳になると、ですね。
(た) そう。これが一番重要なんだけどね。
(ち) 前までは好きな事やっても親が守ってくれたけど。…けどさ、こういう事って口酸っぱく俺らが大人から言われている事じゃん?エライもんで言われてる事なんだけど、年とらんと身に沁みんのよね(笑)。あとは、現実的にお金がなくて世界旅行とか行けないにしても、一回はフェス行ってみたいなって思ってる人はフェスとか一回は行けるしさ。ちょっとでも興味ある事とか、行動に起こした方がいいかもね。ホントに。
(マネージャー) お笑いライブとかね。
(た) お笑いライブね。来てほしいね。
(ち) 流れ星っていうコンビがいて、すごく面白いからそこのライブに足を運ぶ事をオススメするよね。
――(笑)。
ち 二十歳ちょうど面白い年だな。流れ星面白く感じる一番いい年。
た (笑)。
――(笑)。ありがとうございました