卒論概要
片岡 瞳「「学び」のあり方を基にしたカリキュラム提案ーヴィゴツキー理論と認知科学の知見を踏まえてー」
本研究では、AIなどの技術が進化するなど変化の著しい社会の中で「学び」の在り方が曖昧であるという問題意識から、「学び」について原理的に明らかにし、学びの定義を行った。第1章では、学びのあり方について、レフ・ヴィゴツキー、ユーリア・エンゲストローム、今井むつみの理論をもとに原理的に
明らかにしたことである。レフ・ヴィゴツキー論の中心となる言葉とは何か明らかにした上で、概念形成の発達の過程を示し、ユーリア・エンゲストロームが介入実践を行いながら、ヴィゴツキーが基礎を展開した文化・歴史的活動理論に基 づいて打ち立てた拡張的学習の理論を示した。最後に今井むつみをはじめとする
認知科学界の主張として、知識の在り方を捉えた上で、概念をどう学習していくかを明らかにした。本論では、その上で、3 者の学び観を提示した。第2章では、学びの定義を行った。レフ・ヴィゴツキー、ユーリア・エンゲストローム、今井むつみの理論を援用して、学びとは何であるかを示し、学びの過程を明示した。第3章では、学びのあり方をもとにした子どもたちへのアプローチ方法の提案、特にカリキュラムの提案を行ったことである。さらに、大人と子どもの関係性の在り方、特に、学校における大人である教師が子どもに対してどのような役割を持ち、接していくかを明らかにした。
本研究の課題は、次の 2 点である。第 1 は、レフ・ヴィゴツキー、ユーリア・ エンゲストローム、今井むつみの理論を本来ならば同じフレームで分析するべき
ところを、同じフレームを設け、分析しきれなかったことである。3 者ともに、言葉を重視した上で論を提示しており、論の根底は似ていたが、特にユーリア・エ ンゲストロームの論では他2 者が明示していた概念の発達についての記述が見当たらなかった。したがって、ヴィゴツキーの理論がどう転じてエンゲストローム の理論を形成したのか、より背景に迫るべきであった。第 2 に、カリキュラムの提案をするにあたって、時間的・世界情勢的制約により、カリキュラムの実践を行えなかったことである。今後、教師になった際、自 分の受け持つ子どもたちに対して、このカリキュラムを実践し、実際にそのよう
に概念が変化していく様を観察できるか、身に付けさせたい力を身に付けさせら れるか実証していきたい。
菊輪 樹哉「子どもの主体性を育むカリキュラム論」
本研究は、今まで提唱されてきた社会科教育論では、教員による課題提示といった授業より主体性は育成されないという問題意識の下、社会構成主義をメインとした授業モデルを研究した。
第1章では、社会科の現状として、現代社会と社会科の関係性、学習指導要領の問題点、「主体性」の育成に基づいた各社会科論の分析を行い、社会科教育が持つ問題点を考察した。第2章では、ガーゲンによる社会構成主義的教育において、彼が示す教育実践を分析し、「主体性」とは関係を拡大する力、参加する力であることを明らかにした。第3章では、社会構成主義的教育における授業モデルを提示し、有効性を示した。第4章では、授業実践という形で授業モデルを示した。
以上をまとめ、本研究の成果として、以下3点をあげたい。1点目は、社会科教育で育成されるべき「主体性」とは何かを明確にできたことである。従来は育成されるべき市民的資質のみが重視されていたが、現実社会と社会科の関係性を踏まえ、社会構成主義的観点より「主体性」を定義することができた。2点目は、従来の社会科教育の授業方法では、「主体性」の育成はなされないことを明らかにしたことである。トゥールミン図式を用いる議論、教室の中で完結する授業は個人主義的であるといえ、「自主性」は育つが「主体性」は育成されない。3点目は、「主体性」の育成に向けた授業モデルを開発したことである。各社会科論の分析を通して、現存の社会科教育論での授業モデルでは、「主体性」は育成されないことを明らかにした後、社会構成主義的観点より授業モデルを提示することができた。この授業モデルを用いることにより、社会科は現実社会を取り扱う教科であるが社会とは切り離された教科となっているという矛盾を克服することができた。以上の成果から、社会構成主義を手がかりとして、子どもたちが主体的に社会に参加することができる社会科教育論を明らかにできたと結論づける。
名畑 慧大「教員の業務及び教育評価から見た『よい』教育、教員の史的変化」
本研究の構成は、以下である。第1章では、神林の先行研究をもとに、教員の業務内容の分析、そして教師という職の捉え方の歴史的変化を明らかにした。第2章では、現代の選抜制度の中心を担う試験の歴史について明らかにし、それらを部分的に肯定、ないしは批判をする教育社会学者の主張を明らかにした上で、各々が主張する教育が本来果たされるべき役割とその阻害要因を明らかにすることができた。第3章では、現代社会の学歴社会を説明する上で重要な意味を持つメリトクラシーの日本語訳として扱われる「能力主義」について明らかにした。この言葉で示される「能力」には個人に内在する「属性」的な側面と、それが外化することで結果となって現れる「業績」といった2つの側面を持っていることが明らかとなった。第4章では、宗像誠也が重要性を主張した「内項外項峻別論」に基づき、第1節でまとめた教員の業務を内的事項と外的事項に区別することを試みた。そこでは、
目標を軸にした概括的な分類を行なったものの具体的な区別ができないという課題を見つけられた。また、同章では第2節で明らかにした各研究者が主張する教育における必要な要素を軸に考えられる必要な教師像の図式化を行なった。
以上より、本研究における成果は、2点挙げられる。1点目は、教師像の変遷を図式化することで、教師像を二元的な軸を用いて図で表せるようにしたこと。2点目は選抜制度として標準的に使われる試験の史的変化を明らかにしたこと。3、宗像誠也の内項外項峻別論における抽象性という課題を指摘したことである。
また、本研究の課題は以下である。1点目は、現場レベルにおける業務内容の把握ができなかったこと。2点目は、教師像の変遷は二元以上で構成されているにもかかわらず二元にとどまる形で図式化されたこと。3点目は、教育社会学者の主張において、理想論と思われる点を排除して検討したこと。本研究の成果と課題を踏まえ、今後も引き続き研究活動を続けていきたい。
西尾 柊冶「選択・判断の授業における授業理論ーカール・ポパーの批判的合理主義に基づいてー」
本研究の成果は、第1に、ポパーの批判的合理主義に基づき、選択・判断における段階性を明らかにしたことである。学習指導要領や多くの指導計画の中に、段階性を意識したものは少ない。現状では、選択・判断の授業といっても単純に選択・判断をさせがちである。この段階性を明らかにすることで、児童生徒の発達段階や教育課程に合わせ、どの分離に主軸を置き、どの分離の要素を多くするのか教師自身整理することができる。児童生徒も、事実と価値、及び価値と価値の分離を意識して行うことができる。第2に、選択・判断の段階性に基づいた授業計画を作成したことである。授業計画は、選択・判断の段階、学校段階、地理
歴史・公民すべてを含んでいる。どの学校段階、分野でもこの授業計画にある授業方法を用いることができるということを示すことができた。また、各授業において、授業の図示を行うことで、各授業計画がどの位置付であるのかを明らかにした。これをもちいれば、どの位置づけにある授業を行おうとしているのか、整理が可能である。単純に選択・判断を行うのではなく、段階性を意識し、事実と価値、価値と価値を分離し選択・判断する力を児童生徒につけることができるようなモデルを作成することができた。以上が本研究の成果である。
本研究の課題は以下の2点である。1点目は、今回の研究は、実践において教師の資質や意欲に頼らざるを得ない。授業準備の過程では、児童生徒からの意見を予測し、当該授業で扱う価値を決め、授業計画や資料を準備する必要がある。授業時には、児童生徒の意見を板書で構造化する、意見に内在する価値を表出させ、再考させるなどの力量が必要である。特に、学校段階の増加とともに、教師の知識、力量、意欲が必要となってくる。よって本研究は教師自身の力量や意欲に依存していることが、今後の研究課題である。2点目は、作成した授業モデルを実践することができず、成果を検証するところまで至らなかった点である。批判的合理主義に基づいた選択・判断の段階性を用いた授業計画を行うことで、価値と価値、及び事実と価値の分離を行い、よりよい選択・判断を行うことができる、としているが、これはあくまで理論上の主張であり、実際に授業を行い、その成果に基づいての主張ではない。そのため、例えば、一次的分離において教師が板書を構造化することで、児童生徒の価値と価値、事実と価値の分離が本当に行われるのか、といった不確定な要素が存在する。これらの2点については、さらに修正を加えつつ、実際に教壇に立ったときに実践することで、本研究の成果と課題をより明らかにしたい。以上のように、本研究の成果と課題がある。本研究を終わらせるのではなく、得た成果と課題を見つめ直すことで、自らの教員生活の糧としていく。
2021/1/30
先日は卒論提出日。我がゼミ生4名、無事提出してくれました。今年は諸般の事情で6月頃まであまりゼミが開講出来ませんでした。しかし、それらも乗り越え、しっかりと論文を仕上げてくれました。
提出前夜。印刷等が完了したのち、ゼミの卒業生(1期生)から頂いたジュースで乾杯(ノンアルコールです)。諸般の事情で打ち上げ等は出来ませんので、慎ましく完成を祝いました。
残りは最終発表会。あと少し、頑張って欲しいと思います。
2021/1/25
卒論提出日が迫ってまいりました。今年のゼミ生(学部)は4名。各々、自身が設定したテーマと戦っております。
我がゼミは基本的に全員で議論をしながら進めますが、最近はその余裕が無く個別指導。本日も(青ざめた顔で?)3人が来学。議論を行いました。
締め切りまであと数日。緊急事態宣言下、図書館や学生控室の使用等で色々と制限がありますが、頑張って欲しいと思います。
2021/1/7
先日、以下の記事が掲載されました。
「若者政治と距離模索」(岐阜新聞1月3日 朝刊)
私のゼミ生を中心に登壇を頂き議論をした内容です。当日は、「政治へ期待すること」「自身と政治のつながり」など記事になっていない点を含め、多くを議論しておりました。特に、(掲載はありませんが)当日学生らが指摘をしていた「身近な政治(自身の切実性に関わる社会問題など)を考えることの重要性」は大事な点だと思いました。その議論の場として地域や家族ではなく、SNSの存在を指摘していました。つまり、「若者は「政治離れ」していない」という議論です。
団塊の世代とZ世代を分断的に語ることは意味を持たないと考えています。引き続き考えてまいりたいと思います。
2020/12/16
先日夜は某新聞社の取材。テーマは「若者の政治意識」でした。私のゼミ生を中心に取材をいただきました。
政治とは何か?政策分析の際の視点は?社会(政治)運動をどう評価するか?「若者の政治離れ」という言葉をどう評価するか?など、多くの質問が。面白い質疑応答でした(学生のホンネを聞くことができ、楽しい時間でした!)。
その後は私への取材。主な論点は世代論。ただ、「Z世代の・・・」とカテゴライズすることに意味は無いと考えています。データをもとに世代論の解体を試みました。どのような記事になるか楽しみです。
2020/11/18
昨日は学部ゼミ。いよいよ卒論の研究も佳境へ入ってまいりました。今年のテーマは多様。
・選択・判断の授業における価値段階論
・教育評価の方法から見た「良い」教育論-脱メリトクラシーに向けて-
・子どもの主体性を育むカリキュラム論
・「学びの共同体」による学びづらさからの脱却
諸般の事情から4月、5月と十分なコミュニケーションが取りにくい状況ではありましたが、そのような中でも各自頑張ってくれました。夏に行った先輩の前での研究発表(通称:夏フェス)を乗り越え、だんだんと進んでまいりました。完成まではまだ先が長い(ような気もしますが)、様々な先行研究と向き合いながら検討を続けています。
学部ゼミ生の皆さん、次回の報告を楽しみにしています。
2020/9/15
先日はゼミの夏フェス。我がゼミは卒業生が1年に一度集まります。内容は皆さんの近況報告と現役生の卒論指導。オンラインでの参加を含めて多くの卒業生が集まってくれました。
今年の卒論は、「教育評価の方法から見た教師の在り方」「批判的合理主義」「子どもの主体性」「学び論の再検討」など多岐に渡ります。卒業生の皆さんは、自身の経験をベースに大変建設的なコメントをしてくれました。
卒業生が大学へ戻ってきてくれることは本当に嬉しい。彼ら・彼女らが学生だった頃を振り返りながら、「癒しの時間」を過ごさせて頂きました。参加を頂きました卒業生、また現役生、ありがとうございました。(写真は、卒業生から頂いたノンアルコールワインとジュース。現役生とともに頂きたいと思います)
2020/5/12
諸般の事情で遅れておりましたが、本日から学部ゼミがスタート。我がゼミは、2月に卒業前の先輩へ研究の構想を発表し、一度議論をします。それを受け、本日までに進んだことを発表してもらいました。
大学をはじめ、各種図書館等も閉鎖されている中、出来ることは限られているかもしれません。次回は2週間後。可能な範囲で各自しっかりと進めてもらえたらと思います。
私にとって、ゼミ生と過ごす時間はとても貴重です。今年の学部ゼミは4名。オンラインではあるものの、今日も楽しい時間でした。今年はスタートが遅れましたが、ここからエンジンをかけてまいりたいと思います。共に楽しんでいきましょう。